MANUKA HONEY
あちこち探して、高崎高島屋にありました。
取り敢えず,2瓶買って試してみましたら、何となく胃腸が落ち着いてきているので、今は5瓶目を毎日舐めています。
現金なもので、腹具合が治まってきたら、少しばかりガッツのあるLPが聴きたくなってきました。
1961年6月20日、NJ
ドルフィーは4曲に参加。バスクラ1、アルト1、フルート2曲です。
カーターのチェロが余計(?)ですし、全体的にイマイチですが、ドルフィーが聞けるので残っています。
1961年6月27日、NJ
「FOR CRY (1960年12月21,NJ)」、「WHERE?」、と3部作(カヴァーデザインが)のうちの最後の一枚になります。
カーター名義の「WHERE?」からわずか1週間後の録音ですが、名義がマルになりメンツもBOOKER=ERVIN(ts)、JOE=BENJAMIN(b)が加わって、マルが全て自作の曲を披歴するとともに、リーダーとしての矜持を示しており、ドルフィーも縦横無尽に歌っています。
ここではソロを取っていない「FIRE WALTZ」ですが、3週間もなく「FIVE SPOT」では、燃え上がる様な感情表現を堪能できます。
1961年、9月8日 Copenhagen
ファイヴ・スポットに出演した後、8月からのヨーロッパへの一人旅は、3種のセッション・アルバムが残されている。
ベルリン、ストックホルム、そしてコペンハーゲンであるが、最も早く発表されたのは、このセッション(’61年9月6&8日)である。
地元のリズム・セクションをバックに2日間のコンサートが、3枚のアルバムに収録されている。
これは、珍しいステレオオリジナルのレーベルである。
A面がフルート、B面がバスクラである。
たまたま、仕事で来ていたCHUCK=ISRAELS(b)とのデュオ「HI-FLY」は息を飲むほどに素晴らしいと思う。
9月6日、ドルフィーは3曲でaltoを吹いており、超速の「THE WAY YOU LOOK TONIGHT」は、のりまくっています。
これも9月6日のセッションです。
「WHEN LIGHTS ARE LOW」(bcl)以外はaltoを吹いています。
これらプレスティッジの「IN EUROPE」3部作は、ライブ特有の雰囲気に溢れており、気軽に楽しめるアルバムではあります。
’61年秋にプレスティッジ(ニュー・ジャズ)レーベルへの録音を終えてから、ドルフィーのリーダーアルバムは途絶えていた。(死後に出たライブ盤は除く)
「空白の’62年」を経た’63年7月1日&3日、リーダーアルバムを録音したが、「FAR CRY(’60年12月)」いらいのことであった。
この複数回に及んだダグラス・セッションは4曲がFMレーベルから「CONVERSATIONS」として発売され、後に5曲が「IRON MAN」に収められている。
このLPは、ドルフィーが少年時代に愛好したというファッツ・ウォラーの曲やパナマの血を引く出自と結びつく曲、デュオ、ソロとオール・アバウト・ドルフィー的な構成になっています。
ドルフィーが亡くなる1年前の録音である。
活気にあふれ、激しくも躍動する演奏が楽しめます。
「オリジナル曲だろうが、スタンダードだろうが、どんなメンバーだろうが、どんな構成だろうが、どんな場所だろうが、ドルフィーはいつもドルフィーであった。組み合わせがたまたま良いと完成度の高いアルバムになるだけであった。(菅井茂)」
〆はやっぱり、「LAST DATE」であった。