DAVID OISTRACH Ⅰ BEETHOVEN |
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2024年 03月 18日
Vnソナタ
昨年12月5日の記事https://sankanti.exblog.jp/33652343/で、’62年録音なのに演奏は勿論録音も素晴らしいLP(リヒテル、カラヤンDGG)について述べました際、その他の’62年頃の録音を聴いてみたいと思いましたが、ようやく条件が揃って、3月に入ってから聴き始めました。 何せ、「コク」のある演奏なので、聞き流すことなんぞは出来ませんし、体調も含めて気合を入れて聴いて見ました。 「60年代に入ると、オイストラフの録音活動は益々活発となっていくが、中でも永遠に記憶さるべき記念碑的な名演と云われているのが、オボーリンと組んで62年にパリで録音された、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集である。オボーリンは、オイストラフより1歳年長のモスクワ生まれで、’27年の第1回ショパン・コンクールの優勝者でもあり、モスクワ音楽院の同僚でもあった。この二人が54歳と55歳という、音楽家として最も油の乗り切った年齢の時である。 このベートーヴェンの演奏は、単に『気心の知れあった二人の大演奏家が期待通りの完成度の高い演奏を繰り広げている』と云った度合いを遥に超えた、稀有の内容を持っている。何よりも特筆すべきは、この演奏が高度な客観性と格調を保ちながら、深い精神性を秘め、しかも、どの曲どの部分からも感興豊かで高貴といってよいほどの成熟した音楽性の光を放射しているという点であろう。 これらの演奏は、高度な『普遍性』に支えられているという意味において、20世紀演奏芸術の最も美しい結実と云っても過言ではないだろう。(安藤博)」 参考までにジャケ裏とオリジナルインナーも載せてみました。 835 151 AY HI-FI STEREO 内溝フラット重量盤 第5番スプリング・ソナタと第9番クロイツェル・ソナタは別格として、この第2番が大好きである。 個性の激しいぶつかり合いと云ったスリリングな演奏では無く、両者の個性が融合し、温かく豊饒な輝きを持った演奏であり、しっとりとした、豊かで心安らぐひと時を醸し出してくれるのである。 835 152 AY HI-FI STEREO 内溝フラット重量盤 「これらソナタ全集の演奏には力みや物々しいゼスチャーは皆無である。音力にしてもテンポにしても表情の作り方にしても、過度というものが一点もない。端麗という言葉がピッタリとあてはまる。従って音楽に劇的なドラマを要求したり、日本人好みの敢闘精神を望む向きには食い足りないが、反対にどんな肌理の細かい鑑賞力にも耐えうるべき完成美と深さがある。(レコ芸’63年4月号)」 835 153 AY HI-FI STEREO 内溝フラット重量盤 「見事な演奏である。先ず目立つのがテンポが概して遅めの事だが、そのたっぷりした音の持続感の内に詰め込まれている張りつめた緊張感は全く類がない。オイストラフの音の張力は全く稀有の物で、オボーリンの精錬された音色がその起伏を充てんする。二重奏の見事さも驚異的で、これはもう息が合うなんてものではない。(レコ芸’63年3月号)」 835 154 AY HI-FI STEREO 内溝フラット重量盤 「スプリング・ソナタは、すみずみまで彫琢され尽くし、緊張感の張りつめた演奏で、この曲にまつわるムード的な甘さなど吹き飛んでしまい、堂々たる大作品の偉観を呈している。(レコ芸’63年1月号)」 全5枚、とても一日で聴きとおせるものでもないし、1日1枚余で2週間余、都合3度以上は聴くことが出来た。 数年前に聴いた時よりも更に情報が増えていた(装置のグレードアップで)こともあり、充実した日々であった。 アナログ盤にもまだまだ素晴らしい音楽が詰まっているということを更に認識した日々でもあった。 #
by sankanchi
| 2024-03-18 16:02
| レコード盤(クラシック)
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2024年 03月 04日
再び中天の太陽
昨晩秋の頃、WE300B刻印シングルモノラルアンプの脚にGR-SS/4を採用して、好結果を得ていることはhttps://sankanti.exblog.jp/33652343/で述べましたが、その後、新年になって「件の友人」やら「件の若い衆」が何やかやと煩くなりました。 「ここまで来たんだから最後(300Bアンプのヒーター回路)まで、GR-SSで行くべきだ。」と。 昨秋、300B刻印(元箱データーシート付)、349Aトップマーク(元箱)とかTUNG SOL 6SN7GT(ラウンドプレート元箱)とかを処分したら、ヤフオクで希望額の1,5倍以上で捌けたのを知っていて(他人の懐具合を斟酌するな!)、盛んにけしかけるのでした。 そして、とうとう カバーを剥ぐ際の緊張感と興奮はいつにも増していました。 (いずれにしてもGR-SSの導入はこれで最後との想いが募っていたので・・・) 現用の30HG20SSとGR-SSです。 こんな感じで、交換してみました。 まぁ、見てくれ的にはバランスがとれているかなというところです。 肝心な、再生音は? 初発の印象としては、まさにOdin2電源ケーブルhttps://sankanti.exblog.jp/30613707/(参照)を思い出しました。 そこまで暴くかぁ~! そんな感じですかね。 多分、本体(片側)の4個+ヒター回路(〃)の2個という以上に、本体とヒーター回路の相乗効果で想定外の結果が出ているというところです。 『まさしく中天の太陽』すべてさらけ出して、遮る影とて無し。 良しや否やはもうこれは聴く人の感性の問題か? 当然のように、「若い衆」はGoodという。 小生と「友人」は今のところ只圧倒されているだけ。 しばらくは、馴染むまで、待つしかあるまい。 その後、我が感性に合うか否やを判断することにした。 若いころであれば、「真っ赤に燃ーえた太陽だから・・・」と「ひばり」の様に歌って喜んだかもしれない。 しかし、黄昏親爺には、夕暮れが相応しいとの思い込みもある・・・。 ここはじっくりと、聴き分けるしかないな、と思っている。 #
by sankanchi
| 2024-03-04 10:42
| WE300B刻印シングルモノアンプ
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2024年 02月 24日
しばらくぶり
2020年の10月https://sankanti.exblog.jp/31825064/以来のコルトレーンです。 レコード棚の奥から取り出してきました。 先日、「北の信者」さんが、『唯一無二』https://sinjitara.exblog.jp/30801542/に書かれていたのを見て、ムズムズしてきたので、取り出してみましたが・・・、 先ずは、これ「BALLADS」です。 「SAY IT」でコルトレーンが、「プワァ~」と始めるともうトレーンの世界に嵌ってしまいます。 27~8年程の昔、仕事で出かける際部下の車に乗せてもらいましたが、エンジンをかけたとたんにその「プワァ~」が車内一杯に広がりました。 彼は、慌ててカーステレオを切りましたが、小生はにこにこしながら「いいから、いいから、そのままかけてください、バラードを聞きながら行きましょう。」と云ったのでした。 えー!と彼は大層驚きながら、部長もジャズを聞かれるんですか❔ 知りませんでした。では、では・・・。 ということで、道中トレーンを始め、いろいろのカーステを楽しみました。 小生が、ジャズを好きということで、彼を始め数人のお仲間が出来てきました。 転出する際は、そのお仲間が、コルトレーンのBN再発重量盤を餞別としてくれました。(勿論ORIGINAL盤は持っていましたが、そこまでは彼らも知らないので、有難く頂戴しております。) さて、「NANCY」まで、それこそアッという感じですね。 久しぶりなので、今一度おさらいです。 次は、もうこれしかありませんね。 「IN A SENTIMENTAL MOOD」、エリントンのイントロが始まるともう雑念が消え去り、コルトレーンのテナーの響きにもはや二人の世界に引きずり込まれてしまうのである。 「THE FEELING OF JAZZ」が終わると、ようやく現実の世界へと戻る。 いつもの事だが、至福の時間が流れるのであった。 「このアルバムには,或いは第一級の名盤と呼べるほどの重量感は無いかもしれない。また、問題作として論じるに充分なほどの野心的な内容も無いかもしれない。しかし、一聴した人々は必ずや『作られてよかった』という、理屈を離れた素朴な満足感を味わわれる筈である。それはエリントンの音楽が時代のファッションやスタイルを超越したエヴァーグリーンのものであることを再確認した喜びでもあり、一方コルトレーンが日ごろの激情的なプレイとは裏腹に、美しいメロディーを美しく吹く心を持ち続けていたことへの共感ででもあろう。・・・中略・・・ それにしても、コルトレーンがこのjazz史上の巨匠に対して抱き続けて来た敬意の並々ならぬものであったことは、本アルバムのどのトラックに針を落としてみても明らかであり、エリントンとの共演に大きな誇りと歓びを感じたというトレーンの事後談話が単なる外交辞令でなかったことは、よほどの皮肉屋紳士ででもないかぎり容認せられるところであろう。 デューク・エリントンにとってもジョン・コルトレーンにとっても、彼らの作品系列の上で将来共に話題となるようなレコーディングではなかったにせよ、作られ、そして聞かれてよかったと誰もが思う美しいアルバムである。 (粟村政昭)」 今日はもう、トレーンをJazzを満喫した。 充足感と心地よい疲れが午睡を誘うのであった。
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by sankanchi
| 2024-02-24 09:12
| レコード盤(ジャズ)
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2024年 02月 14日
馴染みの音
雪の日、SNが向上し、Vnの優しい余韻が懐かしさを増す。 前々回https://sankanti.exblog.jp/33805578/ノイズが出たので、ソケットを交換した。それはそれで落ち着いてよかったのだが、思わぬ「違和感」が生じたのである。 「ツィゴイネルワイゼン」冒頭のリュリュリュリュ~リュ、ツィーと切り上がるVnの、ツィーと切り上がった音が従来(ソケットを交換する前)は、中央から聞こえていたのがセンターと右中間の真ん中あたりから聞こえるようになってきたのだ。 従来は山本音響工芸のテフロンソケット銀メッキ品、今回はEnd of Sales ということで金メッキ品であった。 右アンプはノイズが出ないので、従来のまま(274B以外は銀メッキソケット)、左はその2本が金メッキという違いなのだ。 幾日か悩んだ挙句に決断した。 申し訳ないが1か月も持たずに、引退させられ、また元の老兵の登場と相成った。 綿棒をつかってそれぞれ接点を奇麗に磨いてやった。 幾日かして半田が落ち着くとまた従前のバランスが、音蝕が、蘇ってきた。 ノイズが出ない分、気分的にもずっと安心して聞いていられるのだ。 金メッキが悪いわけではない。 拙宅では銀メッキの高域の鮮明に切れ上がる音に慣れていて、そこがキッチリ再生されないと何か物足りない、寂しさを感じるということである。 球友親父さんがこの話を聞かれて、銀メッキのUS-8P(中古)を持参してくれました。 274B用のソケットは従来品にも銀メッキは無かったのだが、左右2台の300Bアンプで銀メッキでないのは右アンプの274B用ソケットだけになってしまったので、これも銀メッキにしましょうということになった。 349A用の空いている端子と戴いたUS-8Pソケットから、奇麗げなのを選んで4本外し、274Bのそれ(金メッキ端子)と交換してやり、奇麗に磨いてやった。 単体で左右のアンプを比べると従来の右アンプ、どちらかというと、まったり感が無きしにもあらずという感触から、鮮明で余韻の美しい響きになったような気がしている。 こうしてステレオで聴いてみるとVnの余韻は美しく切れ上がるし、ピアノはよりブリリアントだ。 従前はここまでであったのだが、お仲間から石英シリーズを紹介されてからのグレードアップで、豊かで優しい低音が軽やかに床を鳴らすのであった。 いみじくも、「ハイバランスでいい音」を標榜し、更に欲をかいて「ピラミッドバランスでいい音」まで取り込もうと画策している小生の意図が少しづつではあるが、実現されてきているということだ。 ソケット2個のメッキで音が変わるなどと云えば、また「抵抗を変えたら音が変わったというバカがいる。」と宣った季刊誌のライター等に嘲笑されるかもしれないが、石英シリーズ=中でもGR-SSの導入により、それが可能になったのである。 山間地にて、「井の中の蛙」状態では、到達できなかった境地であろうか、有難い事である。 「CIACCONA」を聴く。 端正な佇まいの中にも時折鋭い切れ込みを見せる「SZERYNG」が好きだ。 なお、同曲には、「GRUMIAUX」の美麗なモノラル盤(PHILIPS A00380L)もあり捨てがたい。 因みに、「ACCARDO」を加えた、PHILIPS Vn3人衆の『演奏は勿論録音も素晴らしい』と思うのは小生だけではあるまい。 まさに、弦のPHILIPSである。 銀メッキのソケットはPHILIPSの弦に殊更馴染むのであった。 #
by sankanchi
| 2024-02-14 12:32
| WE300B刻印シングルモノアンプ
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2024年 02月 05日
最近のお勧め
モノラル盤について書きたくなったのは2013年12月https://sankanti.exblog.jp/21164477/以来でしょうか? ここ一か月ほど、左のアンプから時折ガサゴソノイズがでて、あれこれ対応していることは書きましたが、そのアンプを弄っている際は、右チャンネルのみ音出し可ということになり、いきおい、モノラル盤に手が伸びてしまいます。 ML5253 ’57年録音 六目 重量盤 1曲目「ツィゴイネルワイゼン」と裏面2曲目「詩曲」をよく聴きます。 「4曲全て美麗そのものである。技巧的に満点で、柔らかく独特の音楽的感受性がある。「ツィゴイネルワイゼン」にしても、全然誇張も作り事もなく、本当に純粋な自分の感性で伸び伸びと弾いている魅力があり、テクニックよりもシックな雰囲気を大切にしたもので、洒落た味の深さでは比類がない。(レコ芸’58年12月号)」 DL-103Rで聴くとき、ステレオ、モノラルという範疇を超えた美しさを感じる素敵なレコードである。 お仲間に聞かせても文句の出ない盤でもある。 A 00380 L ’57年頃録音 ミニグルーブ フラット重量盤 A面「悪魔のトリル=タルティーニ」「ラ・フォリア=コレッリ」 B面「シャコンヌ=ヴィターリ」「ソナタ・イ長調=ヴェラチーニ」 これも馴染みの盤で、若干痛みも出ておりますが、なかなか代わるものがありません。 「選曲に素晴らしい魅力がある。イタリアの古いヴァイオリン音楽の代表的作品が顔を揃えている。特にヴィターリとヴェラチーニが優れている。美しい音色で、グリュミオーにありがちな技巧味の勝ったところが無く、じっくりと格調の高さを示している。(レコ芸’58年4月号)」 これまた、Vnの美しい響きを堪能できるアルバムで、後年のステレオよりも好きですね。 モーツァルトhttps://sankanti.exblog.jp/23366964/のと甲乙つけがたいほど愛着のある盤です。 「18曲の選集で、モノーラルだが、的確な技巧と磨き上げられた音で、くっきりと端正な演奏を聞かせてくれる。この大家ならではの精緻でしなやかな、独特の澄んだ詩情を漂わせて、味わいが深い。(レコ芸「歌崎和彦」) 終活に向かって整理するとしても、この盤はギーゼキングの最後になると思っている。 勿論「ヴェーゼンドンクの五つの歌」がお目当てである。 「高い声に多少無理が感じられる点を除けば、これが既に60歳を超した歌手の最近の録音とはどうしても考えられない。底知れぬ深さを感じさせる声、完成され切った表情、大きく膨れ上がり、盛り上がってくる劇的な迫力、全てがワーグナーの声楽の様式を再現して、全く非の打ちどころがない。(レコ芸’57年6月号)」 昔はA面5曲一気に聴いてしまっていたが、最近は、「天使」「止まれ」「温室で」で暫く余韻に浸っていたくなるのだ。その後おもむろに「悩み」「夢」と入っていくのである。 3曲目「温室で」のあと、動きたくはないし、次の曲にも入りたくは無いのだ。 そこで LW5302 1E/1Eマトリクス 内溝フラット重量盤 これだと3曲目でA面が終了する。 その後気の済むまで、溝が終了したスクラッチ音をどこか遠くで聞きながら、余韻に浸っていられるのである。 ようやく我に返ると、盤をひっくり返してB面を楽しむのであるが、まぁ、贅沢な時間が流れていくのである。 ヴェーゼンドンクの歌他にもいろいろ出ているが、フラグスタート以外聴く気がしない。 どういう訳か、寒くなるとブラームスを引っ張り出すのだ。 ウエストミンスターのホルントリオなんぞは、買い換えたほどだ(バリリを聴く)。 このホッター盤も秋が深くなってくると出番で、冬のFFファンヒーターで、暖まった音楽室でそっと聴くには似つかわしい。 「例によって地味な歌いぶりだが、悠揚迫らず、来るものを拒まず、去る者を追わずの風格がある。どの歌にも慈父の眼差しが向けられて、何とも温かい歌だ。じっくりと人の心を温めてくれる歓びというものは、こうした演奏を差していうべきだろう。人生の憩いが歌の中に託されて、かたくなな心もいつしかほぐれてくる。(レコ芸’58年6月号)」 高い方が出た、あの音が美しく抜けた、深々と低弦が鳴ったとかいうのも勿論楽しい事だが、時には、こうした古いモノラル盤に親しむのもいいものです。 そこには、音を超越した音楽しかないように感じるのは小生だけでありましょうか? この冬は、今しばらくモノラルにも手を伸ばしたいと思っている。 #
by sankanchi
| 2024-02-05 17:01
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